家づくりブログ

2023-12-24 21:05:00

昔の私は本当に自信が無かった3選

 

こんにちは、岐阜のハッピーホーム後藤工務店 後藤です。

 

工務店の4代目として生まれ、今日にいたるまで色々あって今があります。

今日はそんな私が、昔の私は本当に自信が無かった3選 をお話しします。

 

 

     小学生の頃は〇〇〇で大勢の前で〇〇のは〇〇だった

今考えると笑ってしまうのですが、小学生の頃は赤面症でどうしようもなく、自信のない状況で大勢の前で話すのは特に嫌でしたね。

でもなぜか学級委員とかには推薦されがちで、良くやらされていたんです。 で、生徒会長、副会長の選挙となると、学級委員の人がまず推されていた感じで、「なっ!健太郎君でいいよな!」なんて感じで選挙に出されていました。

クラスの長ならまだしも、他クラスに行くと知らない子もまあまあいる訳で、でも生徒会役員で当選しようと思ったらやっぱり他クラスの子からの人気も無いとなれないじゃないですか。 そこまで社交的な方でもなく対抗馬の子がクラスを超えた人気者だと分かると「これは分が悪いな」と選挙演説当日にまで緊張していましたね() 

 

 

     中学生の頃は〇〇がコンプレックスだった

昔は今より色白で、中学生の時かな、怪しい日焼けマシンを買ったことがあるくらいコンプレックスがありました。 焼いている所を突然部屋に入ってきた叔母に見られたりして。全然効果が無かったですが()

細身色白だったので、やんちゃな女子からからかわれた事もあったかな。

 

 

     結果、苦手なタイプの〇〇〇がいた

なので、やんちゃな女の子は苦手でした。 中学生くらいだとやんちゃな女の子のグループとかがあったりして() その頃はまだまだ純情でしたしね。

今ではいろんな点で人並みになれた気がします()

こういう話題は文字数も減るもんですね(汗)

でも書けと言われているので仕方ないですね()

 

 

ハッピーホーム後藤工務店ではお客様の「好き」をお聞きして、それをカタチにしています。

 

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好きなものに囲まれて

楽しく暮らしてほしい

 

ハッピーホーム 株式会社後藤工務店

代表 後藤健太郎

岐阜県海津市海津町外浜84-1

TEL 058454758

 

 

 

 

 

2023-12-17 21:51:00

正直あの時私はバカだった3選

 

こんにちは、岐阜のハッピーホーム後藤工務店 後藤です。

 

工務店の4代目として生まれ、今日にいたるまで色々あって今があります。

今日はそんな私が、正直あの時私はバカだった3選をお話しします。

 

 

     小学生の頃、電車を〇〇させる?

昔は近所に悪ガキと呼ばれる人がいましたよね。私はもちろん悪ガキではなく悪ガキと一緒に遊んでいただけの子でしたが、あるとき家の近くの「線路に石を置こう」となったのです。

小学校の34年だったと思うのですが善悪の判断もつかず、流されるまま皆で渡れば怖くない的な感じだったと思います。

石を置いて皆で木陰で隠れて見ていたら、遮断機がおりてきたその時、踏切のそばにあった部落で馴染みのスーパーのおじいさんが血相を変えて線路の石を蹴散らし、電車が警報を鳴らして走りすぎる中、おじいさんが「誰だーっ!」と。

その迫力にびっくりして恐る恐る出ていくと怒涛のお説教! 

なぜダメかを教えられて皆泣いていた様な気がします。今でも感謝しています。

そのお孫さんの家を建てさせて頂くお話をいただいた時は何とも感慨深かったですね。

そのお家の方とは今でも良いお付き合いをさせていただいてます。

 

 

     ゴムボートで〇〇に乗り出し〇〇〇〇に叱られる!

小・中学生のころは釣りに夢中になっていて、中学の時、グループの一人が

「長島スパーランドの周りの川にでかいコイがおるぞ」

「ゴムボートも持って行ってみよう!」 「よし、行こう!」 

となり、数人で自転車に乗って伊勢大橋を渡るコースで2時間くらいかけて行きました。 この時点でそこそこバカですよね。

向こうへ着いて「こんな大きなたくさんのコイ、釣っていいのかな」とよく見てみると、釣り禁止!の看板を発見... 

「そりゃ、そうだわ」 

「でもここまで来て何も無しは無いやろ」とそっとキャスティング… 

「ルアーを追っかけてくる! 「やっぱヤバいて」 

「やめよ、やめよ」 「...」

 

「この堤防の向こうの海で釣るか」

「そやな」と海側に行くと何とも穏やかな海で

「ここでゴムボート出してみるか」「そやな!」 と。

海は穏やかな様でも潮の流れというのがあって流されていくんですよね。

岸から15mほど離れて騒いでいた頃、パッと見ると漁船がこっちに向かってきていて、船長に「コラー、危ないぞー!」」とすごい剣幕で叱られ、あえなく撤退 

今考えれば当然ですよね。本当にバカでした()

 

 

    〇〇まで自転車で行って〇〇不能で仲間割れ?

その釣り仲間の一人が河村君といいまして幼少期まで大阪に住んでいた子だったんですね。

その子が「中学の卒業旅行に大阪まで自転車で行こう!」と言い出し、皆「俺も行く」と結局6人だったかな、夏休みに行くことになったんですよ。 

昔は夏でも今ほど暑くなかったし、何より怖いもの知らずでしたね。 

計画は河村君が中心で、一泊目は河村君のおばさんの家の京都、二泊目が河村君が生まれ育った大阪のとある集会所。で三泊目にまた京都に行く途中にトラブル発生。

自転車の後ろに荷物を載せる時、自転車に引っかけてぐるぐる回してまた引っかけて固定する両端にフックの付いた伸縮ロープがありますよね。 それが自転車のチェーンに絡まってメンバーの一人が転倒、自転車はまともには走行不能に... 

「頑張ってこのまま京都へ行こうぜ」という意見と「本当に自転車が動かなくなったらまずいからまず自転車を直す事を優先して今日は距離の近い大阪に戻った方がいい」という意見とに分かれ険悪な雰囲気の中、自転車を直して夕方にかけて大阪に戻りまたその集会所に泊まる事に...

他にも私はパンクもしましたし、帰ってきたらお尻が痛くて痛くて()

今では良い思い出ですが、通学自転車でバカでしたね。

若気の至りというやつです。

本当に若いころはバカでした()

 

 

 

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代表 後藤健太郎

岐阜県海津市海津町外浜84-1

TEL 0584547588

 

 

 

2023-12-11 22:05:00

私が建築を始めて感じたこと3つのこと

 

こんにちは、岐阜のハッピーホーム後藤工務店 後藤です。

 

 

工務店の4代目として生まれ、今日にいたるまで色々あって今があります。

今日はそんな私が建築を始めて感じた3つのことをお話しします。

 

 

 

      大学卒業後、ゼネコンで〇〇〇〇

工務店の跡取り息子なのですが、大学を卒業した後は「まずは社会勉強を」という事で住宅よりももっと大きな建物を造っているゼネコンに入社しました。

現場監督として鉄骨造のアパートや大きな結婚式場の建設に携わったのですが、現場監督とは毎日朝から晩まで現場敷地内の現場事務所を拠点として、大きな現場を毎日歩き回っていろんな仕事をします。

夜遅くまで現場事務所で施工図面を書く事も多いですし、夜910時でも現場に電気をつけて作業することもありました。工期が短い現場はそういったものだったんですね。

なので独身の若い現場監督は現場近くのアパートなんかに住み込むんですね。 

私も朝アパートを出て夜10時、11時にアパートに帰る、寝に帰るだけという時期も長かったです。 

それが普通だったのですが、大きな仕事で右も左も分からない中、探りながら叱られながら覚えるという感じがきつかったのを覚えています。 

仕事は大変と感じていました。

 

 

      〇〇〇〇を経験した後で一から○○修業?

当時、後藤工務店の社長であった父が体調に不安が出てきて、「跡を継ぐつもりなら俺が教えられる内に」という事で、現場監督を3年足らずで辞めて後藤工務店に入社しました。 

現場監督の仕事は「品質管理、工程管理、安全管理」が主な仕事でたくさんの業種の職人さんの調整をするという、管理側の仕事です。

そんな事を覚えていざ帰ってきたら、社長曰く「大工仕事も覚えてこなせないと大工さんと話ができんからな」と負う事で、まずは「ノミ研ぎから」と。 「えっ...!」でした。 

でも木造住宅のことも一からだったのでそれに従って、昼間は大工仕事を大工さんに教わり、材料の運搬をしては現場を観察して、建物の申請業務は知り合いの設計士さんから、その他諸々を社長からと、いろんな角度から教わることが出来て、面白いと感じながら現場監督の時より健康的に過ごしていました。 

ただ、12年すると社長から「もうお前の代だから仕事もお前がもらってこんとなー」と。 

「えっー!まだ木造住宅の事、少ししか分かってないんですけど(汗) もらってくるってどうやってー!?」

 社長曰く「一軒一軒自分の足で回って聞いてみ。 おー、よく来てくれた、という人がいるから。」と。

「なんという無茶ぶり(汗)」と思う反面、それをさせる意味も何となく理解し、真夏の暑い中スーツを着て手作りのチラシをもって本当に一軒一軒回ってましたね()  

でも世の中はそんなに甘くなく、自社の位置や自分の価値も突き付けられ「これは大変なことだ」と感じながらプレッシャーを感じながら過ごした30代でした。

 

 

      思い切って〇〇をしたら、会社経営が... 

大工仕事も覚えてきた30代中盤となると、社長から「若い大工さんを採用してお前が教えていくようにしんとな!」 

「えーっ! そもそも大工さんの人数に対して仕事が少ないから休みも無く営業廻りしとるのに... そりゃ覚えては来たけど、、、

お客様対応と設計と見積りと現場管理をしながら、見習いの大工さんを一人前に育てる程の事まで出来る訳が、、、

5人ですら多いのにこれ以上大工さん増やしてどうするの? 」 

 

今と違って当時は大工さんの仕事は本当に難易度が高くで、それを若手に正確に伝えていくのは大変でしたし、5人の社員大工さんの仕事を切らさずに回していく中で、力が無かったばかりに身も心も限界に達していました...

そんな中、幸いにも人との出会いによって私の考えも変わってき、と言うか変えざるを得ないところまで行きついてしまい、 

「お客様の家を建てるのだから、会社のこれまでの歴史や体制を継続することにこだわらず、お客様が本当にほしいと思う家を建てられる体制にしよう。」と舵を切ったのが40代中盤。

会社の体制を時代に合わせたことでお客様のご要望に丁寧に対応していく事が出来る様になりました。

有能でお客様思いのスタッフと頼りになる協力業者さんと素敵なお客様、

そして家族に支えられて、

心に余裕が出来たことでお客様の喜びもたくさん感じられ、今が本当に楽しいです。 

 

もっともっと感動していただける家をと思っています。

 

 

ハッピーホーム後藤工務店ではお客様の「好き」をお聞きして、それをカタチにしています。

 

 

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ハッピーホーム 株式会社後藤工務店

代表 後藤健太郎

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2023-12-04 21:14:00

私が建築を始めた3つの理由

 

こんにちは、岐阜のハッピーホーム後藤工務店 後藤です。

12月になりましたね。

寒くなりますので風邪などには気をつけたいものですね。

 

 

今日はちょっと昔を振り返ってお話しします。

私が建築を始めた3つの理由です。

 

 

     木に囲まれて育った

   訳あって昔から家の近くに大工さんが加工した木がたくさんあって、桧の長方形の端材などもたくさんあったので、小学校低学年くらいの時かな、それで姉と積み木感覚で人が入れるくらいの大きさに囲って、「お風呂~♪」などと遊んでいた写真があります()

あと当時はその端材の木でお風呂を沸かす担当が小学生の頃から基本私でした。昔は浴槽に二か所の穴が空いていて最初は外にある金属製のかまどで木を燃やして沸かして、ぬるくなった場合の追い炊きは中のガスボイラーでしていたという凝った構造のお風呂だったんですよね。

風呂を焚いている間の23時間は友達と遊ぶことも出来ないですし、暑い夏、寒い冬に230分おきに木をくべに行くのはわりと面倒でしたが、両親が忙しかったのでいやいやながら手伝っていましたね。

 

     大工さんに囲まれて育った

   家のすぐ前に大工さんが木を加工する作業場があって、子供のころから作業場の中で内緒の遊びをしたり、ブラックバス釣りに夢中になっていた中学1年生の頃には「ゴムボートに安定して座るためにイスがほしい」という事で、浮き輪部分の両サイドに渡して載せられる長さの板を大工さんにお願いして加工してもらってイスにしていました。

その時点で「木の仕上げ、面取り」という言葉も教わっていました()

ただ、そのゴムボートのシェイクダウンを近くの国道沿いの大きな池でしたのですが、シェイクダウン当日に国道を運転中の学校の先生に見つかって取り上げられゴムボート禁止になってしまいましたが() 

大工さんは子供にとってはやさしく面白い人ばかりでしたし、板も簡単にきれいにつくれたりと中学生ながらに「大工さんはすごい」と思っていました。

 

     〇〇の○○息子だった

   そう、私は工務店の跡取り息子だったんですね。物心ついたころには跡継ぎだという事になっていました。 

当時の社長である父からも跡を継ぐように導かれ、素直な性格だと思う()ので、一度は修業のために外飯を食べましたが、結局疑う事無く入社をしてしまいました() 

実は入社してからが大変でしたが、そこから色々な事を学ばせていただきました。 

自分の成長や会社の舵取りの仕方に悩んだ時期もありましたが、その時があって今があると、今はそれを活かせるようにと思っております。真面目でしょ?() 

結局の理由はこの跡取り息子だったという事に集約されますが、やはり両親の事が好きだったという事なんでしょう。

すみません、ちょっと美化してしまいました()

 

 

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代表 後藤健太郎

岐阜県海津市海津町外浜84-1

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2023-11-08 22:49:00

年じゅう楽園のような家ってどうでしょう?

 

今年は11月に入ってもまだまだ暖かいですが、

でもそのうち絶対寒くなりますよね(涙)

 

おはようございます。

夏涼しく冬暖かい生涯価格がお値打ちな家 を一棟一棟丁寧にをモットーに木の家づくり・リフォームをしております、岐阜県海津市、ハッピーホーム 株式会社後藤工務店の代表 後藤です。

 

 

いくら何でももうじきストーブの時期かと思うのですが、ストーブは何を使われていますか?

 

この地域の一昔前の家ですと石油ファンヒーターが多いかと思うのですが、最近の家ではエアコンで冬を過ごすことも増えてきていますよね。

 

本来、冬はそれほど得意でないエアコンでそれが出来るのも、家の断熱性能があがって暖めやすくなったからなんですよね。

 

とはいえ、一冬をエアコンで過ごすとまだまだ電気代が気になるかと思います。

「我が家は太陽光発電を載せているから電気代はタダだから平気なんだよね♪」という事も聞きますが、その太陽光発電も先行投資でお金が掛かっている訳で、発電した電気を使わなければ売電収入も増える訳なので電気は使わないに越したことはないですよね。

 

そこでもっともっと性能をあげて日本のトップレベルにまであげるとどうなるか。 そうすればもっと電気代が安くなるわけで、そうなればもしかしたら楽園の様な生活ができるのでは、と妄想しています(笑)

冬になるとお風呂・脱衣場などでヒートショックで倒れる方は悲しいですがやはり増えるようです。 やはり命が一番大切と思うと同時に、そうならない為には家中を暖める事が有効なんですよね。

 

超高性能な家でしたら、例えば家じゅうをケチらずに暖めても電気代は大したことないから、浴室や脱衣室もいつも暖かくできるでしょうし、冬の朝、寒いからといって起きるかどうするかの葛藤に悩まされることが無くなるとか、それどころか冬の布団はいらないし春の服のままで年じゅう過ごせるとか、洗濯物を外で干さなくても中でフワフワに乾いてしまうとか、なので虫も花粉も無縁の生活だとか、実は最近いろいろ聞くようになりました。

 

 

で、それらは真に質の高い住宅づくりを志す少数精鋭の工務店でしかできない家づくりだったりする様で、実際どの程度のコスト増でご提供可能なのかを検証すべきだなと思っております。

 

 

 

それでは。

 

 

 

 

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